はじめ文庫の本棚から

東京/練馬にある私設図書室

ただのゴミを虫とまちがえた日

 数日前の夜、キッチンの窓の枠のところに、細長い黒いもの見つけて、ギョッと驚きました。すぐに虫だと思ったので、つつくことも出来ずに、長い時間おろおろして、老眼鏡をかけたり、虫メガネをのぞいたりしましたが、夜の電灯では見たいものも見えないのでした。いったい何ものなのか、なぜそこにいるのか、わたしが置いたのでは決してないこと。何だか汚れているが、這ってきた足跡みたいなものはないこと。最後には窓を開けて、長い箸で夜の暗闇に飛ばしましたが、虫じゃなかったなと、自分に言いました。

 平たいきしめん、5ミリ幅の5センチ長さほどの体長でした。それがススをかぶったように汚れていましたから、目はあるか、口はあるかと、虫めがねで確かめようとしたのでした。生き物ではないと気づいてからは、窓の枠や壁の隅っこに積もったゴミが、何かの衝撃ではがれ落ちたのか、それとも他の生き物が運んできたのか、原因が見つからないので、しばらく気持ちも落ち着かないのでした。

 

 もうずいぶん昔、若い頃のことですが、アパートに帰ってきたときこたつの天板の上に、小さいネジが2個ほど乗っていました。そんなもの置いた覚えはないし、何かの弾みに飛んで落ちたネジかな? と、考えてもわからないし、若いし、そのうち忘れてしまいました。

 それから数ヶ月たったある日、ドアをノックする人があり、開けるとおまわりさんでした。そして、あなたの部屋に泥棒が入りましたと言いました。

「え、そんなはずは・・」

 そんな形跡があった日など、全くないのでした。

「泥棒が捕まりましてね、あちこち入ったらしいんですよ」

 泥棒は、わたしの部屋にも入ったと自供したというのです。

 

 アパートは2階建ての古い建物で、玄関の木の戸は重い上に、鍵と鍵穴がずれていて、開けるのも閉めるのも、センスがないと開けられないくらいでした。それにわたしはお金もお金になるようなものも何もありませんでした。

「えーっ、ほんとですか、このドアを開けるのすごくむずかしいんですよ。それにまたちゃんと閉めていったんですね」

 帰ってきたら鍵が開いていたなんてことは、一度もなかったし、また部屋に誰かが入ったというようなこともなかったのです。

 おまわりさんは静かにうなづきました。

「それに、わたしのところに入ったって、お金も何もなかったですよ」

 わたしはちょっと泥棒に申し訳なかったな思いながら言いました。おまわりさんの頬がちょっと波打ちました。

「泥棒も、そう言っていました」

 

 虫かと思ったらゴミだった夜も更けて、あの時の、コタツの上に置いてあったネジを思い出しました。泥棒は入った痕跡を残していくとか、誰かが言っていたような。何も持っていくものがなかったのに、ささやかに、小さなネジを置いていったのでしょうか。

 なぜだか困ってる自分がいるので、本棚から2冊抜き出してきました。

この本の中に、「現実は複雑である。あらゆる早合点は禁物である。」とありました。

 

 

『諸國畸人傳』(諸国奇人伝) 石川淳 著 中公文庫

 あちこちで木の花が咲いて、ほんとにきれいです。紅や白や桃色黄色。敷地のウメかサクラか、数日前は、すべっとした枝が伸びていると思って近寄ったら、色づいたツボミがくるまれたみたいになって、数珠みたいに連なっていました。それが今では、濃いピンクの花を、枝いっぱいにつけて咲いています。 

 これら木のツボミは、去年の夏にはすでに作られていて、冬を越す準備をして、冬の寒さをしっかり感じて、そうしていよいよ春の暖かさに反応して、花を咲かせているのだそうです。

 

 満開の花を思いながら、花とは関係のない本を、抜き出してきました。

 

 

 

 この本はタイトルどおり、諸国の畸人を伝えています。畸人とは、変わってるとかアクが強いとか言われる人たちです。しかし本質はもっと深いところにあるようです。

 ほとんどは江戸時代に生まれ、明治、大正まで生存した職人、芸人、政治家、俳諧師、商人たちです。著者は、彼らの資料や製作品などに、ある時ふと出会ったことで、その人がどんな人物なのか、引き寄せられるようにたどっていきます。彼らの故郷を訪ねて、土地の歴史に触れ、自然や風景を眺め、その人物を浮かび上がらせています。私たち読む側も、著者についていきながら、その人たちの面白さを、一緒に味わうことになります。

 

 ちょっと紹介しますと・・、

 出雲国松江(島根県)の指物大工で、茶道具を作り、また木彫も作った小林如泥(じょてい)。製作品には入神の技があり、頑固さが自由だと評された人物。

 

 駿府静岡県)の左官安鶴(あんつる)。彼は本職の壁塗りだけでなく、口八丁手八丁。笛、太鼓、三味線、鉦など、障子の裏で、1人で奏で、8人が演奏しているように聞こえたとか。影絵や指芸を見せたり、相撲や行司の技もやったり、そしてとてもしゃれっ気があったとか。

 

 阿波(徳島県)の人形師デコ忠。彼は阿波浄瑠璃の人形つくりです。阿波人形のことをデコと言うそうです。

 ここを読みながら、昔祖父が話してくれたことを思い出しました。祖父の妹が、徳島で浄瑠璃の修業をし、のちには大分へ移って定住し、田舎芝居を興行したという話でした。人形芝居の座は数十もあったとか、常設の小屋というものはなく、常に移動した場所で組み立てたとか、些細なこともおもしろく読める楽しみがありました。

 なぜこれほどまでに人形芝居が流行ったのか、それは当時の吉野川流域の産物、藍の経済力だそうです。

 

 越後(新潟県)塩沢の商人鈴木牧之(ぼくし)が編集した、『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』と言う本があります。北越に降った雪の記録です。観察は30年に及びます。初編(上中下三冊)を刊行したのが1835年(天保6年)、天保11年に二編(春夏秋冬四冊)が出ています。

 

 

 この鈴木牧之とは、どんな人物だったのでしょう。牧之は、質屋と縮(ちぢみ・織物)の仲買いを営む商人でした。父が起こしたあとを継ぎ、牧之の生活の心得は「忍」。家事にしのび、商売にしのび、雪にしのび、「雪譜」を起草した日から、30年後の出版の日まで、時間の長さにしのんだと、著者は書いています。

 こんな本でした。おもしろかったー。

梅まつりで郷里の物産を売る

 スマホに下書きしていたのに、保存してなかったから、下書きしたものが何も残ってなかった。せっかく書いたのに、その上、その翌日から病院へ行ったり、劇場へ出かけたり、めずらしいことが続いたためか、記憶はすっかり薄らいでしまった。けど、もう一度書いてみる。その時は新鮮だった話も、今ではそう面白いとは思えないが。

 

 こないだの大きな寒波で、気温は低くなり、強風が吹き荒れた日、都内にある神社の梅まつりに、郷里の物産を売る手伝いに行ってきた。普段の通勤より1時間早く家を出たので、当然いつもより朝の空気は冷たく透き通っていて、着込んでいても、強い北風が吹きつけてきて凍える。神社に着くと、境内の紅梅白梅は5分咲き? すでに人びとで埋まっているのは、合格祈願や本日のイベントの人たちかな。

 すぐに我が物産販売のテントは見つかった。思ったより大きなテント、運動会などでみる貴賓席などがあるやつだ。この内側に設えた台の上に、郷里のお茶や和菓子やお酒を並べて販売する。 

 今日の人員は3人。町からきて、区とのつながりに力を尽くしている青年と、我ら二人の女子である。ねえさんともおばさんともおばあさんとも呼ばれるが。先輩の姉さまは人を呼び寄せるのが超ベテラン。「日本酒の試飲やってますよー」「ノンカフェインの体にいーお茶よ」と、声を出すだけで人がそよそよと集まってくる。声が人を引き寄せ、おしゃべりして、買い物していく。商売でなく、町のことを知ってもらうのが先決なので、その辺人が緊張しないのかも。

 準備をしている間にも、冷たい風が吹きつけてくる。ちょうど風の通り道になっている場所で、テントは動かせないから、ここで覚悟を決めて。

 時刻が変わって行っても、寒さと風は変わらない。どうかすると強風が襲ってくる。お茶葉を詰めた袋や、町の案内の紙物などは、何度も吹き飛ばされていった。それを追いかけるのだが、けっこう重ね着してて身動きが取れないのと、手はかじかんで、つかむとか、拾い上げるとかが思うように行かない。よっこらしょ、よっこらしょと口からババくさい声が漏れ出て、その上視野が狭く、見つけられず、あきらめは早く、店に舞い戻っては、また吹き付ける風にひゃーっと、こちらも風に負けず舞い踊る、を繰り返した。

 

 こんな強風の中でも、いろんな人たちがテントを訪れた。旅行で行ったことがありますとか、息子がそちらの県の大学を受験するので祈願に来たとか、郷里の町のどこそこの誰の娘ですとか。小さな町なので、どこの誰か3代前から分かるのである。

 午後、栗100%の羊羹を買った若者がいた。「○○○やです」とその若者が言った。○○○がよく聞こえなかったが、どうも魚の名前のようだった。サンマだったかマグロだったかメグロだったか考えながら、誰だったか思い出そうとしていた。「僕は覚えてますよ」と、私にいうから、寒くて凍りついた顔で、「えーっ?」と、狐につままれた表情を返してしまったが、彼はその時、日本酒を並べた場所に移動していて、それら日本酒の瓶のラベルがちょうど金銀紅の、狐の顔を描いたものだった。彼はこの日、4種の狐を見たことを覚えているだろうか。

 郷里の町にそんな商店はあったっけ、そこの息子にこんなスッキリした賢そうな人がいたっけ? などと頭の中で考えていたら、「自撮りに入ってください」などと誘われて、未だ訳がわからないまま、自撮りの枠に入った。パチリ。

 若い人はこのような操作を、こともなくあっという間に済ませる。こういう物の取り扱いは、われらは時間がかかってしょうがない。グーグルナビなんて、こないだなんか見れば見るほど分からない上に、目的地からどんどん離れていくのだから、最後はいつも人に聞くことになるのである。

 ほんとに寒くて風の強い1日だった。風の本を読んだあとの風だったので、寒く厳しくても、けっこう楽しめた。梅が可憐であった。

 

『風の名前 風の四季』 半藤一利・荒川博 著

 この数日、夜半になると、外で強い風が吹いて、戸を叩くような、何かがはためくような、細い金物がすり合ってるような音が聞こえてきます。時には建物を揺らして震わせます。最初、耳に入った時は、なんだ? と思ったので、耳をすませたり、窓を開けて暗い外を眺めたりしましたが、何も見えません。叩き合ってるものを確かめたいですが、みなかくれんぼをしていて、正体を表さない。まるで風の妖怪が、あちこちで遊んでいるような気もして、「今夜はここまで」と、静かに戸を閉めました。それで、本棚から風の本を抜き出してきました。

 

 「風の名前 風の四季」  半藤一利 / 荒川博 著

 

 著者は、中学校の同級生。風来坊を好む作家と、元船乗りが、古今の文学の中を、風に吹かれながら歩いています。

 

 まずは冬の風のページから読み始めました。

 東京の冬は、東北からの筑波おろし、西北からの赤城おろしの風に、骨髄まで冷やされるという。こうした山から吹き降ろしてくる風は、日本列島のあちこちにあります。関東の空っ風、北海道の山背、琵琶湖に吹き下ろしてくる風、比叡おろしなどなど。どれも強い寒風です。昔の東京に、富士おろしも吹いたとか。

 森鴎外の小説「半日」は、[あなじ]という西北の風が強く吹いて、雨戸をがたがたと鳴らしている日のことを書いています。鴎外は天皇祭に参列するこの日の朝、妻のヒステリーに翻弄されて、結局休み届けを出し、出かけられませんでした。明治42年「すばる」に発表、ありのままを書いたこの本の出版を、妻は決して許さず、本になったのは、昭和26年でした。あなじがどれだけ強いものか、夫婦げんかと冬の風がたいへんに吹き荒れたことが伝わってきます。

 

 もうすぐあさかぜ(朝風)が吹く春も間近いですね。詩人であり、昭和女子大を創設した人見東明が、春の朝の清々しく吹く風を書いた詩があります。

  春の朝風 そよそよと 甘いくちづけして通る

 

 風のことはいくらでも知りたくなりますね。他にも。

  『風のなまえ』 榎本好宏 著  白水社

  『風の絵』  山梨俊夫 著  スカイドア

  『風の事典」 関口武 著  原書房  など。